生きづらい日々

オーストラリア在住32年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

結婚に関する事:その5

子供を乱暴に扱う、いえ、ただの乱暴ではなく、
一歩間違えれば取り返しのつかない大けが、いえ、
命さえ落としかねない扱い方をする夫に
私はどんどん逆らいました。


そんな私に腹を立てた夫が、とうとう
出ていけ、と言いました。


毎日仕事から帰ってきたら、暴力とともに
「まだいるのか!いつ出ていくんだくそ女」等と
暴言もたくさん吐かれました。


毎日、毎日、飽きないのかなと思うくらい
繰り返し身体的、精神的な暴力を受け続けました。


私はどうでもいいけれど、子供に対する態度だけは
絶対に許せません。


布団があるからと、押し入れの中へ投げ入れたり
この子を守れるのは私だけ。私は夫と大喧嘩になるのを
覚悟で必死で戦いました。でも、私はやはり力では
かないません。いえ。。。言葉でも全くかないませんでした。


エネルギーだけがどんどん奪われて行って、
頭もぼーっとしてきて、麻痺してきそうでした。。。


そんな時、どんっ!と押し入れから転げて落ちてくる
息子を捕まえ損ねて落としました。


息子は大泣き!


幸いケガもなにもなくて済んだのが幸いでしたが
もう許せません。。。


ぷちっ!


何か頭の中で切れました。毎日のDVに
ぼーっとしていた頭でしたが目がいっきに覚めました。


旦那が仕事中に、スーツケース一個分とリュックサックに
主に子どもの物で必需品を詰めて家を出てやりました。


ただ、私には、安全かつ安心な場所もなければ、
何かあった時には、心が帰れる場所もありません。


普通であれば、親元が安全かつ安心な場所、そして
何かがあった時には、安心して帰れる場所で
なければなりません。


私にはどこにも「存在できる場所」がありませんでした。
存在していてもいいのだろうかとさえ思いました。
いっそ、息子と一緒に死んでしまおうかとも頭をよぎりました。


夫の同僚の奥さんで、私の見方をいつもしてくれて
かばってくれていた方だけに、落ち着いたら連絡先を
教える約束をしました。


日本にいたら探し出される、ここで捕まったらもう
私は子供と共に死ぬしかない、、、そこまで思い詰めていました。


私は日本から出ることを決意しました。


計画なんてありません。そんな余裕も何もありません。
すべてが衝動的な行動と言えば衝動的な行動です。


行先は、ただただ噂で安全だと聞いていたオーストラリアを
選びました。アメリカは怖いイメージがあったので。。。


無計画、オーストラリアはどんな所かも知らない、
頼る場所もない、誰も知らない、なーんにも知らない土地
オーストラリアに、ありったけの貯金を持って
息子を連れて旅立った馬鹿な私です。

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