生きづらい日々

オーストラリア在住32年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

初めて自由になる

私は、生まれてからずっと両親や姉に支配されて生きてきました。


そして結婚してからは、夫に支配されて生きてきました。


そんな私が、離婚提出後、初めて「自分と子供」の為だけに生きられる日がやってきました。


でも、初めて自由になった私、どうしていいのか分からないんです。今までずっと誰かに支配されて命令されてコントロールされて生きてきた私ですから、(生まれてからずっと)、突然自由になったら、何をどうしていいのかサッパリわからないんです。


だって、自分がないんですから。いきなり自分になれと言われてもそうそうなれるものじゃないんです。


安いゲストハウスに宿泊していた時、ある人と知り合いになりました。


よくこんな所に女性が赤ちゃんと一緒に滞在できるね、とビックリされたのが最初のきっかけです。


その人は、シドニーのあるニューサウスウェールズ州のド田舎出身の人で、その人も離婚して、奥さんが引き取った息子に会いにたまたま来ていてその間、そのゲストハウスに宿泊していました。


その時に知り合いました。


あまり英語がわからない私ですが、ゆっくり喋ってもらったり、辞書を引いたり、私も和英辞典で引いた英語を見せたりのたどたどしい時間のかかる会話でしたが、何とか意思の疎通がはかれ、仲良くなっていきました。和英、英和辞書が大活躍。


その人が自分の家に帰るときに、折角オーストラリアに来たのだから、遊びにおいでと誘ってくれました。


自由になった私は、一も二もなく有難うとご厚意を受けることにしました。普通なら、そんな知らない人のご厚意をあまり受けないとは思うのですが、突然自由になった私はもう訳が分からなく麻痺していました。


その人は一足先に帰るので、どういう風にそこまで行くのか合流の方法等を約束してサヨナラしました。


約束の日、空港までタクシーで向かい、グレニナスというド田舎町の空港まで、教えてもらった通りチケットを買いました。


ところが、メインの大きい空港でなく、そこからタクシーに乗って、シドニー空港の敷地内にはあるのですが、何だか小さなセスナが数機止まっている小さな発着場所みたいな所に行くように言われました。


全部で10人乗れるか乗れないかくらいのプロペラセスナでした。。。


てっきり飛行機なのかと思っていたら、、って飛行機は飛行機ですがまさかセスナ機とは思わず。。。


グレニナスに行くのか聞いてみたら、行くと言われたので間違ってはいなさそう。。。


1時間くらい待つとやっと出発時間。数段の階段を上ってセスナに乗り込むと、数人しか乗っておらず、操縦席は丸見え。フライトアテンダントなんていない、操縦士と副操縦士だけ。ほんっとにセスナ。。。


飛び立つ時、ものすごい振動が体に伝わってきて、飛んだ瞬間、内臓が口から飛び出るかと思うくらい、セスナに乗っているというよりか、自分で勝手に空を飛んでしまっている感覚でした。


セスナって、、、遊園地のジェットコースターに乗るより怖いわ。。。と思いました。


常に下の大地が見えるくらいの低空飛行でした。


1時間くらいしたら、忘れましたがある飛行場につきました。セスナ一機が下りられるだけで、ちっちゃな小屋があるだけのちっちゃな空港。。。というより、バスの停留所みたいな。。。見渡す限り何もない、大自然の中にポツンとある停留所。それもよく操縦士は見つけられるな、と思うくらい大自然の中では小石よりも小さい場所。。。


なんだこれは、、、飛行場とは言えないぞ、、というくらいの小さな停留所です。。。


操縦士が、どこそこ~!と空港名を告げると、一人降りていきました。そして新しい人が一人乗ってきました。


また飛び立ち、1時間くらいすると、また同じようなバス停のような空港にセスナが下りて、「どこそこ~」と地名を告げると一人おりていきました。


グレニナスは?って聞いてみたら次だよ、と教えてもらいました。


このセスナは、バスのような感覚でド田舎の人に使われているんだ、、(ド田舎って失礼な表現方法ですが。。。^^;)ド田舎の人の交通手段なんだ、、、と、その時気づきました。流石だだっぴろい国、セスナがバス替わり、移動手段なんですね。。。


そしてグレニナスに到着、降りて小屋の方に向かうと、別に空港の職員がいるわけでもなく、小屋に出口入り口らしきものが付いているだけで、ただの無人駅なのです。。。


そこに例のお友達になった人が迎えにきてくれていました。よかった!もし迎えに来てくれていなかったら、こんな人もいない誰もいない大自然だけの場所で死ぬな。。。と思いました。


ほんとよく、遊びにおいでと言われて一も二もなくOKの返事するなとビックリするくらい馬鹿な私でした。


周囲には本当に何もない牧草地帯がただただ広がっているだけ。マジで死にますよ。。。


その人がいい加減な人でなくて幸いでした。。。今考えたらぞっとします。普通はこんな冒険しません。本当に悪い人でなくてよかったです。


そこからその人の車でなんと4時間もかかって、その人の家まで連れて行ってもらいました。


4時間の間、一度も民家も見なければ、人なんていない、ただの広大な大自然の土地を、同じ牧草地の景色をずっと見ながらの移動でした。


その人の家は、人に会うためには、一番近くの小さな町まで車で2時間くらい走らないと人と会えないくらいの何もない広大な土地の中にポツンとありました。


小さな家ですが、自分で建てたのだという事でした。


電気もガスも何も通っていないので、自家発電で電気を起こしていました。シャワーやお湯は薪ストーブで沸かすようになっていました。


洗濯は、週に一回、2時間かけて一番近い小さな町まで買い物がてらコインランドリーで洗濯をするのだという事でした。


数日泊っていくようにお誘いいただいていたのは、日帰りなんてこれは絶対に無理な場所だわ、、、だからだわ、、、とそこに行って初めて気づきました。


秘境です。。。


水も持たず、お金だけ持っていれば何とかなるだろうくらいのバカで浅はかな考えで、、、お金なんて持ってても何の役にも立ちません。そこではお金はただの紙切れにしかなりません。。。


本当にその人がいい加減な人だったら、私、息子を道連れに死んでます。。。日本でも都会育ちの私ですから、秘境がどんなに危険なところかとか想像もつきませんでしたし頭の中にこれっぽっちもありませんでしたし、、なんて危険な事を簡単に決めてたんだろうって思いました。


ニュースになるような事にならなくてよかったです。。。







あっさりと離婚成立

オーストラリアに着いて、空港で
なるべく安い宿泊所を探しました。


シドニーの、ニュータウンというあまり治安は
よくない場所ですが(泥棒が多い)
比較的安く泊まれる宿泊所が見つかりました。


そこへは一週間だけ泊まりました。


部屋にトイレとシャワーは付いていますが
共同キッチンがあり、食事は自分たちで料理するように
なっていました。


もっと安い場所がないかと一週間の間に、宿泊所の持ち主に
相談した所、あまり綺麗ではないけれど、ゲストハウスのような
場所で、共同トイレ、シャワーになるけれど、一週間で
約100ドルという格安の場所がある事を聞き、
次にそこに移りました。


日本でいうと、丁度8畳くらいの部屋に、
シングルベッドが一つ(息子と一緒に寝ました)
小さい洋服ダンスが一つ置いてあるだけの部屋でした。


決して綺麗とは言えず、トイレもシャワーもあまり掃除がされておらず
気持ち悪かったといえば気持ち悪かったです。


でも、安さには代えられず、そこには約一か月ほど滞在しました。


そこに滞在している間、私がそこに泊まっている事を、よくしてくれた
同僚の奥さんに伝えたところ、夫に伝わってしまったようで、
毎日そこに夫から手紙が届くようになりました。


帰ってきてくれ


俺が悪かった


悪気はなかった


まだ愛している


お前しかいない


そんな内容の手紙が毎日のように届きました。


DV男の言葉は信用ならないな、と思ったのが、
約一か月くらい経った時です。


ある手紙が届きました。


その前の日の日付の手紙には


俺が悪かった。戻ってきてくれ。俺は変わった。お前しかいない。


等と書いてあったのに、その日の手紙は


結婚相手を見つけたからお前なんかとは離婚だ馬鹿女。
お前が勝手に出て行ったんだから、そいつはお前にくれてやる(子供の事)
二度と俺の前に現れるな馬鹿野郎。


そして署名された離婚届が一緒に入っていました。


あれ?前日の日付けの手紙には俺が悪かったって書いていたよね?
で、次の日には結婚相手が見つかった?馬鹿野郎?
これです、DV男はとても自分勝手な生き物なんです。


人の事を考えているようで、実は全部自分の事だけ、自分の都合だけ。
自分中心の人間で、変わると言っても絶対にウソで変われない
最悪人間です。いつもその時の自分の都合でしか生きていけないのです。


しかも息子の事をモノ扱い。
でも、息子は取られない!何よりもこれが一番!


オーストラリアに意を決して逃げた私は、随分強くなっていました。
日本にいたら、殺されるか、息子と一緒に死んでいたかでしたから。。。


すぐに日本領事館に、離婚手続きに向かいました。
手続きには日本とのやり取りもあり、
あまり覚えていませんが、必要な書類等もあって
暫くかかったような気がしますが、
離婚届けは提出できました。


離婚届を提出した旨を、同僚の奥さんに伝えました。


やった!これで開放される!


幸せな気分で一杯でした。
これから息子と自由に生きていけるんだって
その時は希望で一杯でした。


暫くオーストラリアに滞在する事に決めました。





結婚に関する事:その5

子供を乱暴に扱う、いえ、ただの乱暴ではなく、
一歩間違えれば取り返しのつかない大けが、いえ、
命さえ落としかねない扱い方をする夫に
私はどんどん逆らいました。


そんな私に腹を立てた夫が、とうとう
出ていけ、と言いました。


毎日仕事から帰ってきたら、暴力とともに
「まだいるのか!いつ出ていくんだくそ女」等と
暴言もたくさん吐かれました。


毎日、毎日、飽きないのかなと思うくらい
繰り返し身体的、精神的な暴力を受け続けました。


私はどうでもいいけれど、子供に対する態度だけは
絶対に許せません。


布団があるからと、押し入れの中へ投げ入れたり
この子を守れるのは私だけ。私は夫と大喧嘩になるのを
覚悟で必死で戦いました。でも、私はやはり力では
かないません。いえ。。。言葉でも全くかないませんでした。


エネルギーだけがどんどん奪われて行って、
頭もぼーっとしてきて、麻痺してきそうでした。。。


そんな時、どんっ!と押し入れから転げて落ちてくる
息子を捕まえ損ねて落としました。


息子は大泣き!


幸いケガもなにもなくて済んだのが幸いでしたが
もう許せません。。。


ぷちっ!


何か頭の中で切れました。毎日のDVに
ぼーっとしていた頭でしたが目がいっきに覚めました。


旦那が仕事中に、スーツケース一個分とリュックサックに
主に子どもの物で必需品を詰めて家を出てやりました。


ただ、私には、安全かつ安心な場所もなければ、
何かあった時には、心が帰れる場所もありません。


普通であれば、親元が安全かつ安心な場所、そして
何かがあった時には、安心して帰れる場所で
なければなりません。


私にはどこにも「存在できる場所」がありませんでした。
存在していてもいいのだろうかとさえ思いました。
いっそ、息子と一緒に死んでしまおうかとも頭をよぎりました。


夫の同僚の奥さんで、私の見方をいつもしてくれて
かばってくれていた方だけに、落ち着いたら連絡先を
教える約束をしました。


日本にいたら探し出される、ここで捕まったらもう
私は子供と共に死ぬしかない、、、そこまで思い詰めていました。


私は日本から出ることを決意しました。


計画なんてありません。そんな余裕も何もありません。
すべてが衝動的な行動と言えば衝動的な行動です。


行先は、ただただ噂で安全だと聞いていたオーストラリアを
選びました。アメリカは怖いイメージがあったので。。。


無計画、オーストラリアはどんな所かも知らない、
頼る場所もない、誰も知らない、なーんにも知らない土地
オーストラリアに、ありったけの貯金を持って
息子を連れて旅立った馬鹿な私です。