生きづらい日々

オーストラリア在住32年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

シドニーで学生になる

親切にしてくれた人にまた四時間かけてグレニナスの空港まで
送ってもらい、そこからまたセスナでシドニーに戻りました。


シドニーに戻ってからは、またゲストハウスでの生活です。


そこで、日本から来ていたワーキングホリデーの女の子と
知り合いになりました。


その人は、オーストラリアで永住している友人がいました。
その人の紹介で、永住している人と知り合いになりました。
その永住している人は、パースからわざわざそのワーキング
ホリデーで来ているその人にシドニーまで会いに来ていました。


暫くこの3人と娘さんと私の息子5人で、シドニーのあちこちを観光したり
楽しく過ごしていました。


ワーキングホリデーの女の子は、オーストラリア中を旅行して
回るという事で、約二週間ほど一緒にいましたが、その後
旅行に旅立ちました。


永住している人は、ご主人がオーストラリア人で娘が一人
いましたが、離婚してシングルマザーとして娘さんを一人で
育てていました。


その人に、日本に帰りたくないと相談した所、
観光ビザだと限りがあるから学生になればいいと
知恵をいただきました。


その人も一緒になってあちこち学校を探してくれました。
そして、ビジネス学校ですが、英語も教えてくれて
しかも格安の学校を探し出しました。


そこには日本人の教師もいたので、手続きの仕方とか
学生ビザに切り替え方法とかを教えてもらいました。


オーストラリア国内では、観光ビザから学生ビザへの
切り替えは出来ないので、ニュージーランドで切り替えするか
日本に一旦戻ってビザの切り替えをする必要があるとの事で
色々考えた結果、多少の身の回りの後始末もあったので、
一旦日本に帰ってビザの切り替えをする事にしました。


日本に一旦戻り、身の回りの後始末を済ませ、
(日本にいる間は両親や姉に捕まらないかドキドキしていましたが)
ビザも学生に切り替えて、また再度シドニーへ
舞い戻ってきました。


シドニーでは、安いアパートを借りました。


学生ビザだと、週に20時間までの就労も認められていたので
勉強しながら週に20時間、お土産屋さんで仕事もしました。


英語が全然できなかったので、ビジネスコースの方の
授業にはあまりついていけず、まずは英語を必死で勉強しました。


本当に一生懸命英語の勉強を寝ても覚めてもしていました。
英語ができない事で、恥もいっぱいかきました。(^^;)
だけど恥をかくと、より一層身につくんですよね。


英語の勉強に仕事に息子の世話、睡眠時間が毎日5時間ほどしか
ありませんでしたが、誰からも攻撃されない、コントロールされない
自由を手に入れた私はとても楽しく毎日を過ごしていました。






ココロ洗われる

秘境の土地に滞在中、たくさんの感動的な経験がありました。


全部は書ききれませんが、まずは雨のカーテン。


「雨が来るぞ」とその人が言って遠くの空を指さしました。まるで昔のディズニー漫画のように、雨雲が一部分にあって、そこからカーテンのように雨がぶら下がって見えるんです。


それ以外のところは晴れ。


だだっ広い、360度地平線で、なーんにもない秘境。


雨がこちらに向かって雨雲から垂れ下がってゆっくり移動してくるのが見えるなんて想像すらしたことがありませんでした。


ゆっくり、ゆっくり、近づいてきます。


そして自分がその雨のカーテンの中に入ったときは、自分は薄暗いシャワーの中に存在していました。上から垂れ下がっている雨の中に入ったんです、、自分が!


しばらくしたら、雨雲と、そこから垂れ下がる雨のカーテンはゆっくり去っていきました。


心が洗われたような気がして涙が出てきました。


ずっと自分は汚く汚れた醜い存在だと思っていたので、この何とも言えない澄んだ心が、私の中にもまだわずかに残っていて、その残っていた部分が顔をひょっこり出してくれた事に自分自身感動してしまったんです。


息子をぎゅっと抱きしめました。なんて清らかで、澄んだ存在なんでしょうか、私にとって。この子は絶対に私が大切に育てなくてはダメと再度思いました。


その日の夕方、耳を澄ますように言われて、耳を澄ませてみると、「ずんっ!ずんっ!ずんっ!」と、軽い地響きのような音がしてきました。


お腹の底に響くような地響きです。なんだろうと不思議に思っていると、「カンガルーだよ」教えてくれました。そして向こうのほうを指さしました。


その方向を見てみると、野生のカンガルーが、すぐそこで跳ねています。


その跳ねるときの音が、軽い地響きのように、ずんっ、ずんっ、ずんっ!って音がするんです。


都会のような雑音が何も存在しないこの場所。風で葉っぱが揺れる音や、カンガルーの跳ねる音、自然が出す音だけしか耳に入りません。


とても清らかな、澄んだ音ばかり。。。


雨に心が現れ、全身が自然の中に入り込んでいる私。


日本に帰ろうかどうか考えていましたが、日本に帰ったら、きっとまたあの両親や姉達につかまってしまう。このままここで暫くいよう、そう思いました。



初めて自由になる

私は、生まれてからずっと両親や姉に支配されて生きてきました。


そして結婚してからは、夫に支配されて生きてきました。


そんな私が、離婚提出後、初めて「自分と子供」の為だけに生きられる日がやってきました。


でも、初めて自由になった私、どうしていいのか分からないんです。今までずっと誰かに支配されて命令されてコントロールされて生きてきた私ですから、(生まれてからずっと)、突然自由になったら、何をどうしていいのかサッパリわからないんです。


だって、自分がないんですから。いきなり自分になれと言われてもそうそうなれるものじゃないんです。


安いゲストハウスに宿泊していた時、ある人と知り合いになりました。


よくこんな所に女性が赤ちゃんと一緒に滞在できるね、とビックリされたのが最初のきっかけです。


その人は、シドニーのあるニューサウスウェールズ州のド田舎出身の人で、その人も離婚して、奥さんが引き取った息子に会いにたまたま来ていてその間、そのゲストハウスに宿泊していました。


その時に知り合いました。


あまり英語がわからない私ですが、ゆっくり喋ってもらったり、辞書を引いたり、私も和英辞典で引いた英語を見せたりのたどたどしい時間のかかる会話でしたが、何とか意思の疎通がはかれ、仲良くなっていきました。和英、英和辞書が大活躍。


その人が自分の家に帰るときに、折角オーストラリアに来たのだから、遊びにおいでと誘ってくれました。


自由になった私は、一も二もなく有難うとご厚意を受けることにしました。普通なら、そんな知らない人のご厚意をあまり受けないとは思うのですが、突然自由になった私はもう訳が分からなく麻痺していました。


その人は一足先に帰るので、どういう風にそこまで行くのか合流の方法等を約束してサヨナラしました。


約束の日、空港までタクシーで向かい、グレニナスというド田舎町の空港まで、教えてもらった通りチケットを買いました。


ところが、メインの大きい空港でなく、そこからタクシーに乗って、シドニー空港の敷地内にはあるのですが、何だか小さなセスナが数機止まっている小さな発着場所みたいな所に行くように言われました。


全部で10人乗れるか乗れないかくらいのプロペラセスナでした。。。


てっきり飛行機なのかと思っていたら、、って飛行機は飛行機ですがまさかセスナ機とは思わず。。。


グレニナスに行くのか聞いてみたら、行くと言われたので間違ってはいなさそう。。。


1時間くらい待つとやっと出発時間。数段の階段を上ってセスナに乗り込むと、数人しか乗っておらず、操縦席は丸見え。フライトアテンダントなんていない、操縦士と副操縦士だけ。ほんっとにセスナ。。。


飛び立つ時、ものすごい振動が体に伝わってきて、飛んだ瞬間、内臓が口から飛び出るかと思うくらい、セスナに乗っているというよりか、自分で勝手に空を飛んでしまっている感覚でした。


セスナって、、、遊園地のジェットコースターに乗るより怖いわ。。。と思いました。


常に下の大地が見えるくらいの低空飛行でした。


1時間くらいしたら、忘れましたがある飛行場につきました。セスナ一機が下りられるだけで、ちっちゃな小屋があるだけのちっちゃな空港。。。というより、バスの停留所みたいな。。。見渡す限り何もない、大自然の中にポツンとある停留所。それもよく操縦士は見つけられるな、と思うくらい大自然の中では小石よりも小さい場所。。。


なんだこれは、、、飛行場とは言えないぞ、、というくらいの小さな停留所です。。。


操縦士が、どこそこ~!と空港名を告げると、一人降りていきました。そして新しい人が一人乗ってきました。


また飛び立ち、1時間くらいすると、また同じようなバス停のような空港にセスナが下りて、「どこそこ~」と地名を告げると一人おりていきました。


グレニナスは?って聞いてみたら次だよ、と教えてもらいました。


このセスナは、バスのような感覚でド田舎の人に使われているんだ、、(ド田舎って失礼な表現方法ですが。。。^^;)ド田舎の人の交通手段なんだ、、、と、その時気づきました。流石だだっぴろい国、セスナがバス替わり、移動手段なんですね。。。


そしてグレニナスに到着、降りて小屋の方に向かうと、別に空港の職員がいるわけでもなく、小屋に出口入り口らしきものが付いているだけで、ただの無人駅なのです。。。


そこに例のお友達になった人が迎えにきてくれていました。よかった!もし迎えに来てくれていなかったら、こんな人もいない誰もいない大自然だけの場所で死ぬな。。。と思いました。


ほんとよく、遊びにおいでと言われて一も二もなくOKの返事するなとビックリするくらい馬鹿な私でした。


周囲には本当に何もない牧草地帯がただただ広がっているだけ。マジで死にますよ。。。


その人がいい加減な人でなくて幸いでした。。。今考えたらぞっとします。普通はこんな冒険しません。本当に悪い人でなくてよかったです。


そこからその人の車でなんと4時間もかかって、その人の家まで連れて行ってもらいました。


4時間の間、一度も民家も見なければ、人なんていない、ただの広大な大自然の土地を、同じ牧草地の景色をずっと見ながらの移動でした。


その人の家は、人に会うためには、一番近くの小さな町まで車で2時間くらい走らないと人と会えないくらいの何もない広大な土地の中にポツンとありました。


小さな家ですが、自分で建てたのだという事でした。


電気もガスも何も通っていないので、自家発電で電気を起こしていました。シャワーやお湯は薪ストーブで沸かすようになっていました。


洗濯は、週に一回、2時間かけて一番近い小さな町まで買い物がてらコインランドリーで洗濯をするのだという事でした。


数日泊っていくようにお誘いいただいていたのは、日帰りなんてこれは絶対に無理な場所だわ、、、だからだわ、、、とそこに行って初めて気づきました。


秘境です。。。


水も持たず、お金だけ持っていれば何とかなるだろうくらいのバカで浅はかな考えで、、、お金なんて持ってても何の役にも立ちません。そこではお金はただの紙切れにしかなりません。。。


本当にその人がいい加減な人だったら、私、息子を道連れに死んでます。。。日本でも都会育ちの私ですから、秘境がどんなに危険なところかとか想像もつきませんでしたし頭の中にこれっぽっちもありませんでしたし、、なんて危険な事を簡単に決めてたんだろうって思いました。


ニュースになるような事にならなくてよかったです。。。