生きづらい日々

オーストラリア在住33年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)、広場恐怖症等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

薬見直し、状態落ち着く

ファミリードクターに面倒を見てもらい始めてから
年に10回だけ無料で利用できる心理カウンセラーも
紹介してもらいました。メンタルクリニックとは
一切かかわりがなくなりました。


ファミリードクターも、今回紹介された心理カウンセラーも
とてもよい人で、私の身の上に起きた出来事を
深く理解してくれて、とても親身になって
治療を試みてくれました。


私側に立ってくれた医療従事者は、今回が初めてなような
気がします。(メンタルヘルスに関してです)


心理カウンセラーは、一年間会い続けましたが、
あまりにも親身になってくれすぎて、
逆に重たくなりすぎて、それ以降は様子を見る
という事で、現在はストップしたまんまです。


まず、杜撰な治療で薬漬けになっていた私ですが、
ただ、やたら24時間眠らせる事に重点を置かれすぎていて
私は一日の殆どを、睡眠薬で眠らされていた状態で
いつも眠気が超半端なく、不快で苦しくて仕方がありませんでした。
そのくせ症状の改善は全然ないのです。とても苦痛でした。


意識は朦朧として何もできず、でも3人の子供の母である以上
最低限の事はやらないといけないのですが、意識が半分ない
状態で動こうとするのは不可能に近いくらい苦痛でした。
だけど重症なうつ病改善は全くなく、毎日意識がふと
戻ってくると嗚咽、号泣き、自殺願望が
半端なく襲ってきていました。


体は動かない、、、


苦しくて苦しくて。。。耐えられませんでした。


何一つ効いておらず、症状が全く改善ないのに
薬がずっと変更なく、増えるだけ増えていた事、
兎に角眠らせろというトンデモナイ治療法に
ファミリードクターが注目して
薬をみ直してくれました。


物凄い量の薬を全て中止し、新しく
escitalopramという薬一本になりました。20mgからスタート。
少し気持ちが楽になりましたがまだ効きがよくなくて
40mg、最終的には60mgまで増量になりました。


これは眠たくなるという副作用はありません。
全ての眠剤は中止となりました。これで体はかなり楽になりました。
どうしても眠れない時だけに飲む用の眠剤は処方されていますが
これは使ったことがありません。


苦痛で仕方がない程の眠気で一日中寝ている苦痛に加え、
うつ状態で今まであんなに苦しかったのに、だいぶ気持ちが
楽になってきた事にもビックリしました。


ただ、気持ちの浮き沈みがある事や、
気分がいい時は、衝動買いが多い事(経済状況を
圧迫するほどの消費はしません。ただ、いらない物を、
経済的に差し支えが出ない程度の出費です。
例えば1ドルのリボンを10本とか。。。使わないのに
買ってしまったりするんです。


でも、後でなんで買ったのか分からない、不要なものが多かったです。
その時は欲しくて買うのですが。。。


その話をすると、Latudaという薬が40mgから追加になりました。
最終的には120mgとなりました。


なので、朝がescitalopram 60mg、夜にLatuda120mgとなって
自殺願望がほぼなくなり(たまに頭をよぎる事はありますが)
泣くこともほぼなくなってきました。


精神的にかなり落ち着いてきました。ただ、何か刺激があると
症状は悪化してしまうので、なるべく平穏に、ストレスが
かからないよう、兎に角好きな事をしながら気持ちよく
毎日過ごすように指導をうけています。


ただ、人恐怖症だけはどうにもならず、いまだに
人と会ったり、外にでかけたりするのが苦痛で
人が異常に怖くて仕方がなく、
繊細過ぎて非常に傷つきやすく、
家に引きこもったまんま外に出られない状況は
変わっていません。



待てど暮らせど連絡なし

退院するには引き受け先が必要という事ですが
(専門医による定期的診察と心理カウンセリング)
すでにその引き受け先となる所が
私の受け入れを拒否しているので
私は宙ぶらりんのまま入院し続けていました。


私は兎に角家に帰りたい事を訴え続けました。
病院の精神科医が、何度目かの紹介状を
受け入れ先のメンタルクリニックに送り続けたところ、
最後のは、やっと受け入れる意向を示したとの事で
やっと退院できました。


退院時、一か月分の薬をもらって退院しました。
受け入れ先のクリニックから受診日などの
具体的な話をする為に連絡があると聞かされていましたが
待てど暮らせど連絡はありません。


とうとうもらってきた薬も残り僅かになりました。


こちらから、そのクリニックに連絡を入れても
受付の人は担当者から折り返し連絡を入れる、の
そればかりでした。


待っても待っても折り返しの電話などかかってきません。


薬がもう切れてしまうので、至急に受診が必要な件等、
再度連絡を入れ、受付から、だから担当者から連絡を入れるからと
怒られて電話を切られる、というのを数日繰り返し、
(同じ日には二度も電話を入れることは絶対しませんでした。
一度だけにしていました。何度も電話を入れると迷惑が
かかるので。電話を一度かけたら2日程待つ、というのを
繰り返していました。)
結局その担当者やらとかからの連絡がないまま
とうとう薬もなくなってしまいました。


途方に暮れました。。。
また自殺願望が頭をよぎります。。。
でも、これじゃダメなんです。
また入院に逆戻りしたくないんです。。。
何よりも、子供をこれ以上放っておけないし
そして人がいる場所には行きたくないんです。。。
人恐怖症も重症化していました。


薬がなくなるとまた状態が悪くなるし、きっと自殺してしまうか、
助かったら病院に逆戻りになるので、もう子供の事も
いつまで考えていられるか症状は悪化、ファミリードクターに
駆け込みました。


そのファミリードクターは、親身になって私の話を聞いてくれました。
クリニックの杜撰さに頭を抱えていました。


私の重症度では、専門医のクリニックに通う必要があるけれど
こんな状態である以上、今回、クリニックから連絡が全
くない件も踏まえて、そのファミリードクターが面倒を
見てくれることを約束してくれました。


取り合えず、薬だけは何とか途切らさないで間に合いました。


面会人に傷つけられる

強制緊急搬送されてから、強制入院させられました。


一時間ごとの点呼必須、病棟の外に出てはいけない
というルールの元で入院生活が続きました。
まるで牢屋でした。


私は四人部屋でした。


だけど人恐怖症が酷くなってしまったので、カーテンを
がっちりと閉め、トイレとシャワー以外はカーテンの
外へは出ませんでした。


人と顔を合わすのも嫌、話すなんて問題外でした。


なので、入院生活はとてもではありませんが、
苦痛でしかないのです。家に戻してもらえるように、
病院での担当医に申し出ては却下される毎日でした。


退院してからの、私の引受先がないという事でした。
例の精神科医と心理カウンセラーからはもう診察しない
と言われて一方的に打ち切られてしまっているので、
他に受け入れ先がない限り、私は退院できないとの事でした。


ファミリードクターに行くように言われたのに、
私の状態だと重症なので、ファミリードクターでは、受け入れ先
として不十分だと言われました。


いったい私にどうしろと言うんでしょう。一生このまま
入院し続けろという事でしょうか。受け入れ先がないんですから。


話変わりますが、私のベッドの前のベッドの子、年齢は
丁度20代半ばくらいでしょうか、症状を見ていると
うつ病+フラッシュバック+パニック障害というところでしょうか。


その子の所に毎日仕事の終わりだと思うのですが、
夕方友人が面会に来ていました。


そしてその子を励まそうとしているのはいいのですが、
私の事をいつも引き合いに出して、


「あなたはこの中で一番まともよ」
そしてこそこそと私に聞こえないとでも思っているようで
「あのアジア人(私の事)みてよ。気持ち悪い。ね、あなたまともでしょ?」
「暴力振るわれないように気を付けるのよ」(一体私は何なんだ。。。)
「ああ言う人(私の事)を頭おかしいって言うのよ。あなたは普通よ」
「あの人(私の事)こそ狂人だわよ。あなたは全然あの人とは違うでしょ。
だから元気だして。あなたはまともよ。見てごらんよあの人(私の事)」


などなど。


私はこの面会人の言葉でもかなり傷ついてしまいました。
私を狂人と呼ぶのです。危ないから話しちゃだめよとも言うんです。
いったい私は何なんだと思っているのでしょう。
あたなの会いに来ているお友達と同じなんですけど。。。


所謂ホラー映画とかで出てくる狂気じみた狂人のように
思っているのでしょうか、私の事。。。斧振り回すみたいな。。。


一度、私がトイレに行くのに目が合いました。なので
私は軽く会釈をして「ハロー」と挨拶をしました。
なのに、ちょっと嘲笑ったような顔つき、目つきをしたまま
私に対して何にも言わず、くすくす笑って終わりでした。


とても感じ悪い、私を小馬鹿にした彼女のこの態度に非常に傷つきました。


私は毎日、毎日、この面会人に傷つけられ、入院中も泣く毎日でした。