生きづらい日々

オーストラリア在住32年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

ホームレス生活からの脱出

住む家が見つけられず(貸してもらえず)途方にくれながらも、それでもホームレスは困るのでギブアップしてなるものかと探し続けていた時です。


クレジットカードを使いながら(借金地獄ですよね。でも、限度額もあるので、そんなに使いまくる訳にもいきませんし)キャラバンパーク(主にオーストラリア人が国内旅行で格安に旅をする為に、キャラバンカーごと泊まれる宿泊施設。キャラバンカーごと乗り入れて泊まれるスペースや、キャラバンカーがない人は、車のみで来て、キャラバントレーラーが設置してある場所もあって、トレーラーのみ借り、寝る場所だけ確保して泊まれます。)に設置してあるキャラバントレーラー、約6畳分くらいの大きさのトレーラーですが、そこに週単位で、クレジットカードで支払いながら居着くことが出来ました。


ただ、シャワーやトイレは、キャラバンパーク内にある公共のシャワー、トイレを使わないといけませんでした。


やはりジャンキー(麻薬中毒者)がいて、針等はトイレに落ちていたりしたので、長男、次男には何度も、何度も、絶対に触らないように言い聞かせました。


そこに泊まりながら、家を借りることは状況的に不可能に近くても、ギブアップせずに、門前払いを食らうという恥をかきながらも、一生懸命探していました。


ある不動産屋に入った時でした。


私の名前を叫んだ人がいて、ビックリしてそっちを見たら、息子の仲良くしている友達のお母さんでした。


たまたま、その不動産屋で息子の友達の母親が働いていました。彼女は私たちをとても心配してくれていました。私は堰を切ったように、現在の状況を、つい話してしまいました。私たちの事情を知り、その場ですぐに貸家のリストを出してくれました。その中から物件の内見をさせてくれました。


その不動産屋に飛び込んでから一時間の間の出来事です。


内見をして、兎に角何でもいいから貸してほしいとお願いすると、お母さんが、直接持ち主に直談判してくれました。


お母さんが保証人になる、絶対に大丈夫な人だと押してくれました。事情もすべて話し、よい大家さんで、貸してくれることになりました。


何でも早い方がいい、と、その日のうちに契約書やら書類関連の手続きを全て済ませてくれました。敷金は、クレジットカードを使う羽目になってしまいましたが。。。(^^;)


書くと簡単に終わってしまいますが、ここまで来るのに大変でした。ホームレス時代は、麻薬中毒者に絡まれたこともありましたし。。。公衆のトイレには、針等も落ちてましたから、子供に絶対に触らないように言いながら必死でしたし、何よりも、1歳にもならない赤ちゃんの娘も抱えていましたから。。。


そのお母さんに大感謝です。眩暈がして、何度も倒れそうになっていたのを覚えています。ただ、まだ感情は麻痺していて、涙は流れませんでした。人間、極限を超えると、涙すら流れなくなるんですね。。。今はまだうつ病で苦しんでいますが、涙を流して泣くことが出来るのは、当然辛いです。辛くて辛くてたまらないけれど、心が感じられているから涙がでるのであって、このホームレスの経験を経て、きっとどうにかなる、きっと大丈夫って思えることもできるようになりました。


こうしてやっと家が決まり、一人一つ分の旅行カバン、赤ちゃん用品の入った大きなボストンバッグ一つで、ここから新しい生活が始まりました。


食べるためのテーブルは、旅行鞄を使いました。直に床に寝ころびました。服を掛け布団ようにして使いました。なーんもなくて、綺麗さっぱり、スタートには丁度いいと思いました。


ホームレスになって行けなくなっていた仕事も復帰できましたし、よい方向に全てが向かいました。


最初は洗濯機もなくて、ずっと手で洗っていましたし(これ、バスタオルとか厚手の大きなもの程、手で洗ったり水を切ったりするのが大変なんです)、冷蔵庫は保冷バッグに買ってきた氷を入れ替えながら使っていましたけど今となってはよい思い出です。


人間って、何とかなるもんだ~、って思います。(^^)



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