生きづらい日々

オーストラリア在住32年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

結婚に関する事:その3

アルコール依存症で超マザコンの夫は、
お母さんに甲斐甲斐しくお世話をされるのが大好きでした。


私は夫にとってはストレス発散の為のおもちゃみたいな物。


私は働いてはいけない、家で夫に尽くすことと言われていたので
仕事を辞めましたが、彼の給料は手取りで月13万円ほどでした。


お家賃も払い、ものすごくお酒も飲み、どうやって
生活費を捻出したらいいのか、、、はっきり言って無理でした。


私が働きに出なければやっていけない事を相談すると、
私のやりくりが悪いからだと暴力を振るわれました。


仕事の帰りにほぼ毎日、スナックにも行く夫。
家に入れてくれるお金はほぼなし。
それで生活できないのは私が悪いからだと言います。


スナック先で知り合ったフィリピン人の女性と浮気をしました。
わざわざ裸でベッドの中で抱き合いながら写真を撮って
なぜか私に見せました。


そして「浮気は男の甲斐性」と言ってのけました。


また別の日には、別のスナック先から、今度は日本人ですが
女性から喧嘩ごしで電話がかかってきました。


私以外の女性には非常に優しくて女性が好きになってしまう夫。
もて方を知っているとでも言うのでしょうか。


スナック通いも酷かったですが、家に後輩を連れてきて
飲み明かすこともしょっちゅうでした。


お金もないのに、ビールケースが2個、ウイスキーは何本も
開けるくらい皆すごく飲みました。


酔っぱらうたびに暴力も振るわれました。


そして夫の母親が、甲斐甲斐しくお風呂に入れてあげ、
お世話をして、夫はとても機嫌がよくなるのですが、
私の顔を見るとまた腹を立てて怒り始めました。


家にいるのがつらくなり、実家の両親に相談すると
「お前はもう出て行った人間だ。自分たちとは関係ない」と
突き放されました。


姉もその時結婚していましたが、姉は別、大切な長女だからという事でした。
姉は高学歴、高収入の旦那さんと幸せに生活していましたが。
そして将来は、両親と一緒に住むことを着々と計画中でした。


話がそれましたが、お金もない、生活もできない、
これでは本当に子どもを早く作れと言われますが、
経済的には無理という物。一生懸命説得して
何とか仕事に復帰する事が許されました。


ただし、家の事は一切手を抜かないこと、仕事のせいにはしない事、
より一層夫を幸せにしなければならない事を条件に許されました。

疲労困憊

引っ越しをしました。


重症のうつ病で、動けないのに引っ越しですが
それはせざるを得なかったからです。


契約が切れて、引っ越ししなければならなかったからです。


今、新居の中はぐちゃぐちゃで、何が何だか、どこに
何があるのかもわかりません。


私は転がっているだけです。


片づけもなにもできません。


もう体が動きません。


精神的にも疲労困憊。。。何も考えられません。


まるでゴミ屋敷。


疲れました。。。


弱音を吐いてはいけないように育てられましたが
(だからうつ病になってしまったのです)
弱音吐いていいですか?


辛くてヘトヘトで泣きたいです。。。


疲れました。。。


結婚に関する事:その2

夫婦となった私たちですが、
私はあまりにも彼の事を知らなさ過ぎました。


まずは、彼は超マザコンでした。
お母さんとの関係が、異常だったのです。


馬鹿な私は、全然気づいていませんでした。


お母さんが時々、彼をお風呂に入れてあげるのです。
その時24歳だったのですが、それでもです。


そして、彼の母親は、私の体をじろじろ見まわして、
一緒に温泉に行こうと言い出しました。


肌と肌の付き合いをしないと嫁という気がしないというのです。


私はそればかりはちょっと抵抗があって、断りました。


ずっと文句を言われ続けました。どうして一緒にお風呂に入れないのかと。


そして子供はまだか、子供はまだか、やり方知らないのか、
教えてあげないといけないか、とまで言われました。


彼に、あまりにも干渉しすぎではないか、と伝えたところ、
お母さんの悪口は言うな、と殴られました。


一緒には住んでいませんでしたが、ほぼ毎日お母さんがやってきます。
彼が、実家からものすごく近い場所に新居を選んだのです。
お母さんから離れるのは嫌だと。


彼は、お母さんと同じ味の料理が作れるようになれ、と、
お買い物先からでも電話をかけさせられ、指導を受けながらしか
買い物をさせてもらえませんでした。


お母さんと同じ味を出せないと、こんなまずいもん食えるか!と
全部ゴミ箱に捨てられ、実家に帰ってお母さんの手料理を食う、と
家を出ていかれました。


彼はアルコール依存症でもありました。
付き合っているとき、お酒をよく飲む人だとは思っていましたが、
アルコール依存症というのも知らなかったし、
知識のない私は、このアルコール依存症に苦しめられることにも
なりました。