生きづらい日々

オーストラリア在住32年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

最初の自殺未遂

長男のフェイスブックを利用して
毎日連絡をしてくる元配偶者。


私はとうとう仕事に支障をきたすように
なってきていました。


夜眠れなくなり、うとうとすると悪夢を見て飛び起き、
仕事中には睡眠不足からミスが多発、
フラッシュバックを突然起こしたり
パニックアタックを突然起こしたり
突然ボロボロと泣き出してしまったり
とうとう仕事継続困難に陥りました。


ボスに勧められるまま、ファミリードクターを受診、
(オーストラリアはいきなり精神科とか神経内科とか
専門分野には行けません。まずはファミリードクターに
かかり、そのファミリードクターが、必要とみなして
初めて専門医を紹介され、その紹介状を持って
初めて専門医に受診ができます。)重症のうつ病と診断され
精神科医の紹介状をもらい受診しました。


涙が止まらず、限界でした。
毎日、死にたい。。。そればかり考えていました。


ホームレスになっても、感情を失いながらも
頑張れたのに、この時点ではもう頑張れませんでした。


すぐに入院をするように言われました。
長男は、もう大学生になっていましたが、
次男はまだ高校生、長女はまだ小学生でした。


でも、何もできなくなった私はもう限界を超えており、
長男に全てをお願いし、入院を決めました。


入院先ではECT(電気けいれん療法)という
うつ病に有効だとされている治療を受けました。


そのECTでは、その頃の記憶を失います。
時間が経って記憶を取り戻す人もいれば、
一生記憶が戻らない人もいます。


私の場合は、一部、ボンヤリした記憶が戻ってきた程度で
ほぼ入院中の事は覚えておりません。ほんの少し、
大昔のチャップリンのすり切れた映画に砂嵐を混ぜたような
記憶が、ちょこっ、ちょこっと白黒ボロボロ写真のような感じで
ある程度です。


ECTは100%の治療法ではありません。
かなり高い期待はできますが、中には全然効果のない場合もあります。


私の場合は効果がありませんでした。


入院中、ここは覚えていないのですが
入院病棟の近くに池があり、病室を抜け出して(解放病棟だった)
そこの池で、自殺を図ろうとしていた所をつかまったそうです。
ギリギリのところだったそうです。
助かってよかったと後で聞かされました。


その病院は、ECT治療目的の人か、または比較的
落ち着いた状態の精神病患者が入院する場所で
解放病棟のみしかありません。


私は別の、閉鎖病棟のある精神科病院へと
転院させられる事となりました。


コンピューターは人を殺せる凶器になる

ホームレス時代からの借金を全額返済し、
必要最小限の家具や電化製品を持てるようになり、
コンピューターまで持てるようになるには
数年もかかりましたが、元配偶者のいない生活、
元配偶者の存在が全くなくなった生活は
母子家庭であっても快適で幸せでした。


私は元配偶者にボロボロにされてしまいましたが、
母子家庭になって、元配偶者の存在がなくなり、
少しづつエネルギーをたくわえ
毎日ほそぼそですが、幸せに生活していました。


物は必要最低限だけで相変わらず何にもないけど、
子供たちとの絆もさらに深まって、とても幸せでした。


元配偶者の影も存在もなにも感じない。
これ程幸せな事はありませんでした。


学校の授業ではコンピューターが必要となりましたし、
学校の連絡事項も、以前のように手紙が来るのではなく、
保護者と教師用のアクセスするホームページがあって
そこで連絡事項がなされるようにもなり、
個人的な連絡は、そのツールを通じてメールで入ったり、
コンピューターは親にとっても必要となりました。


そんな時、長男がフェイスブックを始めました。


これがきっかけで、元配偶者が長男にフェイスブックを
通じて連絡を毎日入れてくるようになりました。


元配偶者がどれだけ幸せに生活しているのかを
毎日、毎日、本当に毎日長男に連絡してくるのです。


長男は、困った様子で毎日、毎日、本当に毎日
私にその内容を伝え始めました。


私は元旦那の影や存在がちらりとでも感じられたら、
パニックアタックを起こしてしまいました。
だけど、長男を挟んで、長男に、「元配偶者の事は
私には一言も言うな」なんて言えません。
長男はあくまでも利用されている被害者です。その被害者の息子を
盾に私まで利用して、自分自身を守る事はできませんでした。


それよりも、逆に私が長男を何とかして守ってあげなくてはならない立場なのです。


明けても暮れても毎日、毎日、ストーカーのような元配偶者。。。
どうしようもなく、長男まで巻き込んで。。。
その元配偶者の陰に、私は苦しみ、その悪夢から
エネルギーをどんどん消耗することになってしまいました。


長男に、とうとう連絡するなって言ってしまって構わないと
言ってしまいました。長男に可哀そうな事を言ってしまいました。
長男を間に挟んでしまうなんて。。。落ち込みました。。。


長男は、そんな事は言えない。。。できない。。。と毎日、毎日、
メッセージを受け続け、耐えられないので私にそれを
逐一報告してきました。


フェイスブックは長男にとっては大切な場所。
お友達との連絡交換や、学校の事、必要な物なので
辞められないのです。


それを利用して、長男を監視しながら毎日、毎日
連絡してくる元配偶者。。。


仮に、長男が連絡してくるなと言ったところで、連絡してこなくなる
人ではありませんし。きっとさらにもっともっと連絡回数を
増やすような人です。


拒否する事は悪いからできない。。。と言う長男。。。
それを私が無理やり拒否してくれと長男を巻き込む事もできず。。。


可哀そうな長男。。。だけど私にはどうしていいのか
分かりませんでした。。。


元配偶者は私を放っておいてくれない。。。
もう離婚もしたのに、全財産奪い取って逃げたくせに、
中国人の女性と再婚もしたくせに、
私たちをホームレスにしたくせに、
もう十分だと思うのに。。。
元配偶者はそれではまだ足りない、
それだけではまた自分は幸せだと思えない人。
まだ私たちに、いえ、長男という子供を利用して
私にかかわって私を潰そうとしてくるのです。


子供を利用してくるなんて、最低の最低です。


もう十分じゃないですか。。。もう私を潰したじゃないですか。
だけど、彼が幸せを感じられるのは、私が不幸であり続ける事だけ。
そういう歪んだ人間なのです。


私が不幸でボロボロで苦しみ続ける姿を見続けることで
やっと自分が幸せでいられるのです。幸せが保てるのです。


私を不幸にしないと、何をどれだけ得ても幸せを感じられないのです。
私がボロボロになっていく姿、ボロボロで惨めに死んでいく姿を
見続けることが、唯一元配偶者が幸せを感じられる事です。


一度だけ私の不幸を見るだけではダメなのです。
元配偶者は、その歪んだ幸せをずっと「感じ続けないと」
生きていけないので、私への嫌がらせは「一生」続くのです。。。
私が死ぬまで続くのです。。。


そんな時、中国人の奥さんとオーストラリアに戻ってきました。


弁護士を通じて私は訴えようとしましたが、
元配偶者は、お金はもう全てない、との返答でした。
オーストラリア国内には、その日暮らしできる程度の金額しか
持ってきていませんでした。


オーストラリアでの生活は、全て奥さんが面倒をみているとの事でした。


それなのに、オーストラリアで家一軒を購入したと言ってきました。


私は弁護士に相談しましたが、あくまでも中国人の
奥さんが全額負担している事、
中国人の奥さんの財産は二人の財産とは全く関係ない事、二人のお金は
海外に隠し持っているかもしれないが、それを立証するのは
非常に時間とお金がかかる事、
持ち去った二人の財産であるという事が証明される必要がある事。
相手がオーストラリアに戻ってきて
いても、立証するには莫大な費用がかかるため、
訴える価値は一切ない。ただの自己満足に莫大な借金地獄になるだけと
言われ、また法的手段には出られない事を告げられました。


毎日、毎日、連絡してくる元配偶者。。。
お願いだからもう放っといてください。。。
幸せで楽しいならそれでいいじゃないですか。。。


私は元配偶者が幸せだろうが不幸だろうがどうでもいいのです。
とっても幸せになってもらってもどうでもいいのです。
元配偶者の存在がチラリとでも関係してくる事がダメなのです。。。


もう私に関わらないでください。


なぜ私に関わってくるのですか。。。


毎日。。。毎日。。。


気が狂いそうでした。。。


元配偶者が私がボロボロになっていく姿をみて
幸せを感じている姿を想像してはパニックアタックです。。。


そして私は仕事中にもフラッシュバックを起こしたり、
夜は眠れなくなり、やっとうとうとしたとしても悪夢を見て
悲鳴を上げながら飛び起きたりするようになり、
パニックアタックを突然起こして倒れたり、、、
また、精神的にも身体的にもボロボロになっていきました。


私がきっとボロボロになって自殺するまで、元配偶者は自分が幸せを感じたいが
為に、毎日、毎日、ストーカーのように私を追いかけ続けてくる。。。


人(私)の不幸は蜜の味。元配偶者はその蜜を「得続けないと」
生きていけない人なのです。。。
だからずっとずっとストーカーのように、嫌がらせは続くのです。


コンピューターは便利だし、今の時代必要だけど(特に息子は
コンピュータープログラマーになるため、彼にとっては必要不可欠品)
その反面、、、人を殺せる凶器にだってなる得るんです。。。


イギリスでもありましたよね。SNSでの虐めで自殺した女の子とか。。。
世界各国でありますよね。。。そういう悲しい悲惨な事が。。。

少しづつ、人生を取り戻す

ホームレス生活から脱出でき、
赤ちゃんの娘は保育所に預けながら仕事復帰、
少しづつ、少しづつですが
毎日平穏な日が送れるようになってきました。


本当にゆっくり、、人生を取り戻し始めました。


書くと本当に数行で済んでしまい簡単に感じますが、
とても大変でした。


まずは借金を返し
寝るためのマットレスと掛け布団を買い
冷蔵庫を買い
洗濯機を買い
テーブルを買い


ここに書くように次々にぽんぽん買えたわけではなく、
時間はかかりましたが、一つ、一つ、買って、
本当にゆっくりですが、まともな生活が送れるようになってきました。


そしてこの時代、息子たちの学校で、コンピューターでの
授業がもうあったりして、コンピューターを持っていないと
なかなか難しい事もあり、やっとコンピューターも
買うことが出来ました。


長い時間がかかりましたが、コンピューターが
持てるようになるなんて、ホームレス時代には
想像もできなかった事です。


人生、生きていれば必ず
何とかなるもんだ、って再び思いました。


こうして、本当に大変ながらも、
ゆっくり、ゆっくり人生を取り戻していきました。


でも、そのコンピューターが私の人生を狂わせることに
なっていくとはその時は思いもしませんでした。。。