2017年7月のブログ記事
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今回は、解放病棟のある病院へ逆戻りになりました。 ただし、病室外へは外出禁止。一時間ごとの点呼必須でした。 強い精神安定剤も与えられて、ほとんどベッドで寝ている状態でした。 一か月くらい入院していたでしょうか。これもあまり 記憶に残っていませんが。。。やっと落ち着いてきたという事で 退院して自宅へ... 続きをみる
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閉鎖病棟のある精神科病院へと転院させられた私は 閉鎖病棟で過ごすことになりましたが ここでの記憶も殆どありません。 ぼーっと、言葉の悪い医師がいた事と、 ネイルをしに来ていたボランティアの人がいた事は 覚えています。 部屋は4人部屋だったか6人部屋だったか覚えていません。 二段ベッドだったのはぼー... 続きをみる
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ホームレス時代からの借金を全額返済し、 必要最小限の家具や電化製品を持てるようになり、 コンピューターまで持てるようになるには 数年もかかりましたが、元配偶者のいない生活、 元配偶者の存在が全くなくなった生活は 母子家庭であっても快適で幸せでした。 私は元配偶者にボロボロにされてしまいましたが、 ... 続きをみる
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ホームレス生活から脱出でき、 赤ちゃんの娘は保育所に預けながら仕事復帰、 少しづつ、少しづつですが 毎日平穏な日が送れるようになってきました。 本当にゆっくり、、人生を取り戻し始めました。 書くと本当に数行で済んでしまい簡単に感じますが、 とても大変でした。 まずは借金を返し 寝るためのマットレス... 続きをみる
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住む家が見つけられず(貸してもらえず)途方にくれながらも、それでもホームレスは困るのでギブアップしてなるものかと探し続けていた時です。 クレジットカードを使いながら(借金地獄ですよね。でも、限度額もあるので、そんなに使いまくる訳にもいきませんし)キャラバンパーク(主にオーストラリア人が国内旅行で格... 続きをみる
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洗脳され、支配され、コントロールされた私は、とうとう家を買いました。 オーストラリアでは、口座は有料なので、一人一つの口座ではなく、夫婦二人で一つの口座を共有開設する事が出来ます。家を買う時に、私しか働いていないのに、私一人の名義ではなく、馬鹿な私の同意の元、彼に言われるがまま、二人での名義で共有... 続きをみる
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色んな苦労はありましたが、無事永住権も取れて順調な人生を歩んでいましたが、そんな中、ある出会いがありました。 後に私の人生を大きく狂わしてしまう出会いです。 私は出勤時、毎朝同じ駅、同じ時間の電車を利用していました。シドニーは、首都圏は交通の便がよく、車がなくても何とか生活していける場所でした。大... 続きをみる
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シドニーでビジネス学校の生徒になってから それはそれは必至で英語の勉強をしました。 その後、色んな手続きをして 大学の教授等に話を聞きに行ったりして 英語のテストの結果次第では大学院に入れると いう事で(日本で大学を卒業しているので、その結果審査後) 英語のテストを受けました。 審査しだいでは、大... 続きをみる
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親切にしてくれた人にまた四時間かけてグレニナスの空港まで 送ってもらい、そこからまたセスナでシドニーに戻りました。 シドニーに戻ってからは、またゲストハウスでの生活です。 そこで、日本から来ていたワーキングホリデーの女の子と 知り合いになりました。 その人は、オーストラリアで永住している友人がいま... 続きをみる
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