生きづらい日々

オーストラリア在住32年になります。重症のうつ病(やっと合う薬が見つかり、現在症状改善傾向)、PTSD(トラウマです)、摂食障害、対人恐怖症+社会不安障害(ひきこもっています)、パニック障害、記憶障害(解離性健忘症)等で治療中です。ですがどこにでもいるごく普通の人です。どうぞお気軽にお声をかけてください。ただし、非常に傷つきやすい状態ですので、批判的、攻撃的、否定的等のコメントはしないでください。貴方の心無い一言で、簡単になくなってしまう命もあるという事を念頭に置いていただければ有難いです。55歳11か月でⅡ型糖尿病発症しました。(2021年7月)

洗脳

家を買うことに執着していた彼、毎週末は、仕事のある日にはできない事をやってしまわないといけないので忙しいのにも関わらず、本当に飽きずに私を家の下見に連れて行きました。そして毎回、本当に毎回、家を買おうと洗脳してくるのです。別に私は家を買いたくないわけではないですが、それなりに準備という物が必要なわけで、それを一生懸命説明しても、会話が成立しないのです。全て100%、彼を受け入れて包んであげなければ精神的、身体的暴力を受けました。


まず頭金をいくら貯めて、と言うと、彼は、私の話を遮って、次の家はリビングが広くて、と、自分の話したい事だけ話します。会話のキャッチボールがなりたたないのです。例えば、私の仕事の悩みを話ししたくても、すぐに私の言葉をさえぎって、あの家はこうで、この家はこうで、と、また家の話。自分の話しかしないのです。子供が保育所でケガして、と話しかけても、まだ話をし始めたばかりなのに、「今日、子供が保育所で転んだみたいで・・」(と、話をしはじめたところなのに)「あの家は部屋の一つ一つが小さいから、あっちの家の方がいいな、」と、延々と家の話、弾丸のように話し続け、自分の話が終わらないのです。


会話が兎に角成立しないのです。それがあまりにもストレスで精神的に参ってきました。日頃の疲れ、週末の疲れ、身体的な疲れだけではなく、精神的な疲れがどんどん蓄積していきました。話は聞いたり聞かれたり、話したり話されたりです。それが彼はできないのです。聞かず話させずで、自分の話を一方的に話し、相手に聞かせるだけ。それが受け入れられないと暴力。


フルタイムで働いていたので、お休みは土日の週末。だけど彼は何もしないので、土曜日は一週間分の買い物と、家中の掃除と子供と一緒に遊んであげたりで一日があっという間ににすぎます。日曜日は、一週間分の夕食の下ごしらえをある程度して、仕事から帰ってきてからの食事の準備が少しでも短縮できるようにするのと、子供の世話でまた一日あっという間に過ぎます。その合間を縫って家の内見に連れていかれます。土日だろうが平日だろうが、平均4時間程度の睡眠時間しか取れませんでした。


ここまでエネルギーを吸い取られ続ける状態の中、私はボロボロになっていきました。人間は、エネルギーの補充をどこかで、何かの形でやらなければ心身ともに健康を保っていけません。私は補充が全くできない状態で毎日を過ごしていました。


まだ家を買う段階ではないから家の下見に行きたくない、疲れているから少し手伝ってほしいと伝えようとしても、「今日、ちょっと疲れているから、、」「ちょっと疲れて」のあたりで、また私をさえぎって、「俺の場合、レバノンで戦争に巻き込まれて、あの時はそれはそれはすさまじかったなあ~」と、全然話の前後の関係がない話を突然しはじめます。頭が「?」と混乱するのです。会話が本当に成り立たないのです。その話を延々と息継ぎしてるの?って思うくらい弾丸のように話しまくり、1時間くらいしてやっと話が終わったかな?と思って、自分の話をしようと、「ところでね」と話をはじめようとするや否や、また自分の話を延々と。。。レバノンでの武勇伝が多かったです。しかも同じ話の繰り返し。


彼は一般市民でレバノンで戦争に巻き込まれてオーストラリアに逃げてきたのですが、とても大変な経験はしてきているのだと思うのですが、話が色々あるわけではなく、10分も話せばまた同じ話を何万回と繰り返し話し続けるのです。何時間でも弾丸のごとく話し続けます。聞くのはいいです。会話が成立すれば、何万回だって聞きます。だけど、一方的な話だけで、会話が成立しない中での何万回は、さすがにキツくて苦痛です。ずっと、ずっと、延々と、うんうん、可哀そうだったね、大変だったね、偉かったね、と同じ話を受け入れ続けなければなりません。エネルギーを補給できる場がないんです。奪われるだけで、どんどん魂がすり減っていくんです。。。


もう本当にストレスでした。私は話すらさせてもらえないのです。ずっと、うんうん、そうだったの、それは大変だったね、うんうん、と一日中、ずーっと話を聞いてあげないといけないのです。子供の世話に家の用事をしながら、バタバタしているのに、うんうん、そうなの~とずっと話を聞いてあげないといけない辛さというものはありません。会話ができない辛さ、会話が成り立たない苦痛といったらありません。。。


そして三人目を妊娠した時、三か月で流産。大出血をしているにも関わらず、家を見に引っ張り出され、お腹が痛くて苦しんでいる私の事は全く気にならないようで、家の話ばかり。私が怒って、「私は今流産して辛いの!精神的な事だけじゃなくて、体もとてもつらい!」と怒ろうとして、「流産して辛・・」と言いかけたら「この家はこの間取りがよくて」と、人の話聞いてんのか!?と思うような事を返してくるんです。そして弾丸のように、私には一切話をさせない一方的な話が延々と続く。。。そしてレバノンでの戦争武勇伝がまた始まり、、、、、会話が兎に角成立しなくて。。。苦痛でたまりませんでした。会話が成立しない事の苦痛、理解できますでしょうか。。。


馬鹿な私は、精神的にも身体的にも限界でヘトヘトに疲れ切り、どんどん家を買えば幸せになれる、という風に洗脳されていき、自分を犠牲にしながら一生懸命頭金を貯める事になっていきました。


どんどん魂がすり減っていく、、、疲れて何がなんだかもわからなくなり、どんどん、どんどん洗脳されていくのでした。


私が至らないから、私がすべて悪いのだ、私の努力が足りないのだ、私の頑張りが足りないのだ、だから彼は幸せになれない、私の責任なんだ、、、そう、どんどん、どんどん洗脳されていったのでした。




変貌

私はすでに息子がいるし、離婚した身である事を告げましたが、そういう過去は関係ないし、子供にも何の関係もないと言われました。子供にも会いたいと言ってくれて、子供と一緒に休日に待ち合わせて一緒に出掛けたりするようにもなりました。


いわゆるお付き合いがはじまりました。


子供に対して全く抵抗なく、まるで本当のお父さんのように接してくれて遊んでくれる彼にひかれていきました。息子のお父さんになりたいと言われた時には、もう私は完全に彼に心を奪われていました。何よりも、子供の事が一番だったので、その子供に対して優しく接してくれる、決して無理したりしておらず、自然体で接してくれていたのに心ひかれたんです。(その時はそう見えていたし思えていました)


それからしばらくお付き合いし、結婚を申し込まれ、結婚を承諾しました。


二度目の結婚と同時に次男を身ごもりました。


次男も生まれ、最初の2年間くらいは、とても幸せでした。彼も真面目に仕事をしていたし、私も仕事も子育ても充実していましたし、決して豊かとは言えませんでしたが、普通の生活が出来、本当に幸せでした。


その頃、オーストラリアはバブル時代に入り、どんどん家の値段とかが上がり始めていました。その頃、どうしても家を買いたいといい始めた彼。今家を買わないとダメだ、と言い始めました。この頃から彼が変わり始めたと思います。その時の私たちは、決して生活は楽ではなかったけれど、苦しくもなく、普通に生活できていましたが、特に家を買うにあたっての頭金とかまでは貯められていませんでした。なので、頭金を貯めるのが先で、それが貯まらないと家を購入するのには無理がある事など、ローンの事もあるし、現実問題を話し合おうと思いました。家を買うのはお菓子を買うのと違います。きちんと計画を立てていかなければなりません。


ですが、彼にはそれが通じなかったのです。


日本人なのに、どうしてかれんの親は家を僕たちに買ってくれないの?と言い出しました。私は「?」となりました。日本人だけど、なぜ親が子供の家をポーンっと買わなくちゃいけないの?と聞き返すと、日本人は金持ちなんだから、家くらいぽんっ!と普通一発で買えるだろう、日本人は皆、豪華な家をぽんっと買っているのに(買っていませんよ)、なぜかれんは買えないの?日本人なのに使い物にならないダメ人間じゃないか、お前、と言われました。


そんな事を言う人だったとは知らなかったので、初めてそんな事を言われた時にはビックリしました。家が買いたい、なぜ買えないんだ、毎日、毎日、本当に毎日、ずーっと口を開けばその話。そして家が買えないのはダメ人間である私の責任だと言い切る彼でした。私は私の頑張りが足りないのかと洗脳されはじめていました。あまりにも毎日、毎日、本当に毎日、俺は不幸だ、日本人と結婚したのに家すら買えないなんて、、、使い物にならない日本人をつかまされた、希望なんてもうない、俺は世界一不幸な人間だ、などなどと言われ続けると、え?私?と思いながらも、だんだん頭が変になってきて、私が至らないからだ、、、というふうな考え方に洗脳されはじめていきました。


挙句の果てには、仕事するのも馬鹿らしくなってきたと、彼は仕事まで辞めてしまいました。私一人で一家を支えることになりました。家にいるならいるで、主夫として、家の事を多少手伝ってくれれば無職でも文句ありませんが、子供の面倒みない、家事は一切しない、買い物すら手伝わない、朝から晩までゲームで遊び続ける彼。そして疲れて帰ってきた私に「使い物にならない女だな!腹減った!早くしろ!」という始末。疲れているからちょっとだけ座らせて、、というと、どうせにこっと笑って足をちらりとみせてるだけで金がもらえてるんだから、疲れたというな!ろくな事してないくせに偉そうに疲れたと言うなと言われ続けました。


彼は元々片付けられない人で、家は汚し放題、殻付きのピーナツが大好物で、それをよく食べるのですが、その殻は全部床に散らかし捨てる。ゴミ箱を横においてあげてもわざとゴミ箱に入れずに床にばら撒いて、「お前、使い物にならないゴミ女なんだから、ゴミのお前がゴミ拾えよな」そう言ってゲラゲラわらってゴミをわざと散らかして、そしてゲームで遊ぶ始末。


自分(彼)はこんなに一生懸命で、世界一頑張っている人間なのに運がない。運さえあれば自分は家が買える。運がないのはお前(私)の責任だ、自分をこんなに不幸にしているのはお前(私)の責任だ、自分には才能もある、自分には力もある、だけどお前(私)のせいで全て奪われてしまった。お前の責任で、俺の才能がめちゃくちゃだ、お前(私)のせいで不幸になってしまった、されてしまった、と毎日、毎日、まーいにち私の責任で不幸になった、と言われ続けるんです。。。


そして結婚指輪を目の前でトイレに流されてしまいました。こんな物に騙された、私に騙された、と怒鳴りながら流されました。


自分が楽しいと思えないと、全て私の責任だと言います。そして私に向かってお皿を投げたり(足がざっくり切れました)、暴力もふるうようになってきました。兎に角いつもご機嫌を伺い、幸せな気分にさせてないと、ちょっとでも気に入らない事があると、身体的、精神的な暴力を受けました。


家が一括でキャッシュでポーンと買えないだけで、一つ、一つ、計画を立てて、いつか家が買えるようにまず頭金を貯めて、と時間がかかる事が気に入らない彼。今すぐぽーんと家がキャッシュで一括で買えない事が、なぜこんな風になってしまったのか、私の頭は大混乱でした。なんだか私が至らないから、私が彼を本当に不幸にしているんじゃないか、と思い始めてしまった私でした。



ヒタヒタとしのびよる影

色んな苦労はありましたが、無事永住権も取れて順調な人生を歩んでいましたが、そんな中、ある出会いがありました。


後に私の人生を大きく狂わしてしまう出会いです。


私は出勤時、毎朝同じ駅、同じ時間の電車を利用していました。シドニーは、首都圏は交通の便がよく、車がなくても何とか生活していける場所でした。大きな都市ですから。


そこに、いつも同じ時間、同じ電車で顔を合わせる人がいました。


見かけ、おじさんだと思っていたその人は、後にわかるのですが、私よりたった2歳年上だけの若者でした。いつも私の方を見て、目が合うとにっこりと笑いかけてきていました。


私は最初のうちは無視していましたが、毎日毎朝会うので、そのうち微笑みを返すようになっていました。それからは、向こうから話しかけて来るようになり、徐々に私も打ち解けて会話を交わすようになっていきました。


最初に話しかけられた言葉は、「日本人でしょう」でした。こちらでは、アジア系=中国人という結びつきが一般である中、いきなり私を日本人と当ててきたのにはビックリしました。なぜ日本人とわかったのかと聞くと、電車のマナーとか、普段の様子で日本人だとすぐに分かったというのです。嬉しく思いました。


その時の私の彼への印象は、優しそうで恥ずかしがり屋さんでした。はにかんで話する所など、恥ずかしがり屋さんなんだ、という印象を受けたのです。


よくよく考えてみると、本当に恥ずかしがり屋さんだったら、毎朝微笑みかけてきたり、話しかけてきたり、向こうから接近してくることなんてあまりないんですよね。だけどバカな私は優しくて恥ずかしがり屋さんという印象を持ちました。


その人も移民者で、レバノンから私よりも二年前に移民してきた人でした。


その時は、彼は商業用の何かの機械を作るための工場で働いていました。


真面目にきちんと働いている印象もありました。


毎朝、本当に遅刻もなく(こちらの人は結構遅刻や時間ギリギリセーフなんてのが多いので)、毎朝顔を合わせていたので、本当に真面目な青年だと思い込んでいました。最初は偶然に私を見たのでしょうけれど、これは日本人であるだろう私に目を付けたから、毎朝必死で真面目に同じ時間、同じ電車に乗るようにしていたのだと思います。


こうして、少しづつその彼と私の距離は近くなっていきました。これがヒタヒタと私に近づいてくる影だとは全くこの時は知る由もありませんでした。その時は、ただただ大変だけど、毎日が充実して息子と二人で幸せに生活していましたから。。。


知り合ってから自然に人柄に引かれて、ではなく、「日本人だから」と理由で近づいてくる男には要注意、この時は、そんな事などこれっぽっちも頭の中にありませんでした。ただただ日本人と分かってくれた事の嬉しさや、毎朝顔を合わせて話しかけてくれることが徐々に普通になっていってしまい、本当にバカな人間です。私は。