生きづらい日々のブログ記事
生きづらい日々(ムラゴンブログ全体)-
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今朝がた、変な夢をみて飛び起きました。 それはおもちゃが襲ってくる夢です。(^^;) 丁度人間と同じくらいの大きさの 機関車トーマスのおもちゃがあって それが突然動き出すのです。 そして私に覆いかぶさってきて 牙をむいて私を食べようとするのです。 私は何とか機関車トーマスを振り払って逃げ、 二階か... 続きをみる
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今日は胸が締め付けられるような気分で苦しい。 理由もなく気分が落ちている日。 動けないしなーんにも出来ません。 ただただ転がっているだけ。 そして悲しい気分が胸を締め付ける。。。 ここの所暫くの間は落ち着いていたのに。。。 普通に過ごせていたのに。。。 今日はダメでした。 今の薬に変わってからは、... 続きをみる
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現在の私まで書き終えて、 過去を振り返り終えて、 後は過去の事ではなく、 その都度今現在の事になりますが、 それと過去で書き忘れた事を思い出した事とか。。 何せ私、刺激を避けつつ、人も避けつつ 毎日なるべく静かに過ごせるように しているのと、いまだに引きこもっているので 何の変化もなく。。。 ただ... 続きをみる
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ファミリードクターに面倒を見てもらい始めてから 年に10回だけ無料で利用できる心理カウンセラーも 紹介してもらいました。メンタルクリニックとは 一切かかわりがなくなりました。 ファミリードクターも、今回紹介された心理カウンセラーも とてもよい人で、私の身の上に起きた出来事を 深く理解してくれて、と... 続きをみる
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退院するには引き受け先が必要という事ですが (専門医による定期的診察と心理カウンセリング) すでにその引き受け先となる所が 私の受け入れを拒否しているので 私は宙ぶらりんのまま入院し続けていました。 私は兎に角家に帰りたい事を訴え続けました。 病院の精神科医が、何度目かの紹介状を 受け入れ先のメン... 続きをみる
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強制緊急搬送されてから、強制入院させられました。 一時間ごとの点呼必須、病棟の外に出てはいけない というルールの元で入院生活が続きました。 まるで牢屋でした。 私は四人部屋でした。 だけど人恐怖症が酷くなってしまったので、カーテンを がっちりと閉め、トイレとシャワー以外はカーテンの 外へは出ません... 続きをみる
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今回は、解放病棟のある病院へ逆戻りになりました。 ただし、病室外へは外出禁止。一時間ごとの点呼必須でした。 強い精神安定剤も与えられて、ほとんどベッドで寝ている状態でした。 一か月くらい入院していたでしょうか。これもあまり 記憶に残っていませんが。。。やっと落ち着いてきたという事で 退院して自宅へ... 続きをみる
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閉鎖病棟のある精神科病院へと転院させられた私は 閉鎖病棟で過ごすことになりましたが ここでの記憶も殆どありません。 ぼーっと、言葉の悪い医師がいた事と、 ネイルをしに来ていたボランティアの人がいた事は 覚えています。 部屋は4人部屋だったか6人部屋だったか覚えていません。 二段ベッドだったのはぼー... 続きをみる
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ホームレス時代からの借金を全額返済し、 必要最小限の家具や電化製品を持てるようになり、 コンピューターまで持てるようになるには 数年もかかりましたが、元配偶者のいない生活、 元配偶者の存在が全くなくなった生活は 母子家庭であっても快適で幸せでした。 私は元配偶者にボロボロにされてしまいましたが、 ... 続きをみる
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ホームレス生活から脱出でき、 赤ちゃんの娘は保育所に預けながら仕事復帰、 少しづつ、少しづつですが 毎日平穏な日が送れるようになってきました。 本当にゆっくり、、人生を取り戻し始めました。 書くと本当に数行で済んでしまい簡単に感じますが、 とても大変でした。 まずは借金を返し 寝るためのマットレス... 続きをみる
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住む家が見つけられず(貸してもらえず)途方にくれながらも、それでもホームレスは困るのでギブアップしてなるものかと探し続けていた時です。 クレジットカードを使いながら(借金地獄ですよね。でも、限度額もあるので、そんなに使いまくる訳にもいきませんし)キャラバンパーク(主にオーストラリア人が国内旅行で格... 続きをみる
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洗脳され、支配され、コントロールされた私は、とうとう家を買いました。 オーストラリアでは、口座は有料なので、一人一つの口座ではなく、夫婦二人で一つの口座を共有開設する事が出来ます。家を買う時に、私しか働いていないのに、私一人の名義ではなく、馬鹿な私の同意の元、彼に言われるがまま、二人での名義で共有... 続きをみる
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色んな苦労はありましたが、無事永住権も取れて順調な人生を歩んでいましたが、そんな中、ある出会いがありました。 後に私の人生を大きく狂わしてしまう出会いです。 私は出勤時、毎朝同じ駅、同じ時間の電車を利用していました。シドニーは、首都圏は交通の便がよく、車がなくても何とか生活していける場所でした。大... 続きをみる
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シドニーでビジネス学校の生徒になってから それはそれは必至で英語の勉強をしました。 その後、色んな手続きをして 大学の教授等に話を聞きに行ったりして 英語のテストの結果次第では大学院に入れると いう事で(日本で大学を卒業しているので、その結果審査後) 英語のテストを受けました。 審査しだいでは、大... 続きをみる
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親切にしてくれた人にまた四時間かけてグレニナスの空港まで 送ってもらい、そこからまたセスナでシドニーに戻りました。 シドニーに戻ってからは、またゲストハウスでの生活です。 そこで、日本から来ていたワーキングホリデーの女の子と 知り合いになりました。 その人は、オーストラリアで永住している友人がいま... 続きをみる
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子供を乱暴に扱う、いえ、ただの乱暴ではなく、 一歩間違えれば取り返しのつかない大けが、いえ、 命さえ落としかねない扱い方をする夫に 私はどんどん逆らいました。 そんな私に腹を立てた夫が、とうとう 出ていけ、と言いました。 毎日仕事から帰ってきたら、暴力とともに 「まだいるのか!いつ出ていくんだくそ... 続きをみる
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仕事を始めても、夫のお世話や家の事は 絶対に手を抜かない約束だったので 睡眠時間を削って毎日死に物狂いで過ごしました。 金銭面では多少楽になってきたとは言え、 生活は何も変わらず大変でした。 相変わらず、お義母さんからの 子供を早く作れ、作り方を教えてやろうか攻撃は 止まらず、夫も小作りするぞ、と... 続きをみる
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アルコール依存症で超マザコンの夫は、 お母さんに甲斐甲斐しくお世話をされるのが大好きでした。 私は夫にとってはストレス発散の為のおもちゃみたいな物。 私は働いてはいけない、家で夫に尽くすことと言われていたので 仕事を辞めましたが、彼の給料は手取りで月13万円ほどでした。 お家賃も払い、ものすごくお... 続きをみる
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夫婦となった私たちですが、 私はあまりにも彼の事を知らなさ過ぎました。 まずは、彼は超マザコンでした。 お母さんとの関係が、異常だったのです。 馬鹿な私は、全然気づいていませんでした。 お母さんが時々、彼をお風呂に入れてあげるのです。 その時24歳だったのですが、それでもです。 そして、彼の母親は... 続きをみる
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私が大学生の時、彼氏が出来ました。 ただ、私には大問題がありました。 生まれてからずっと両親と姉からの虐待が元で、 私は自分の意見をもてない人間になりました。 言われるがまま、されるがまま、最悪人間にとっては 最高に都合のいい人間となりました。 両親がそのように私を育てたからです。 何をされても文... 続きをみる
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前の記事に書いたけれど、私のこの頃の記憶は、 いつも一人で外で遊んでいたという事です。 当然、そんな小さな女の子が外で一人で遊んでいたら、 危ない人たちの標的になるわけで、実際、なってしまいました。 変態の男に、自慰行為を見せられたり(その時は、何をしてるのか全く理解もできていず、ただただ見せられ... 続きをみる
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随分昔の事になるので、殆ど記憶は残っていませんが、 残っている記憶は全て独りぼっちで外で遊んでいる記憶のみ。 両親は?姉は?皆どこでどうしていたのだろうか。。。 その頃の私の話を両親に聞いても、返ってくる答えは あんたは恥ずかしがりやでグズでイライラした。嫌いだった。 のろのろしているから一緒にい... 続きをみる
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